LINER NOTES 吉村淳二(JOHNNY)

目の前のMacbookの画面には14個の音源データが表示されている。

全ての曲名には「確認用」という文字が入っている。

THE NEUTRALの2年ぶりのフルアルバム「Take the high road」のデモ音源データだ。


シゲル君からライナーノーツを書いてみないかと依頼があったとき、僕は躊躇した。

だって僕はみなさんと同じくらいTHE NEUTRALを深く愛しているから。

自分のお金でCDを買い、フィルムを剥がし、折り曲がらないよう注意を払って歌詞カードを取り出す。


新しい紙の匂いを嗅ぎながらプレーヤーに円盤をセットし再生ボタンを押す。

かすかに聞こえるプレーヤーの起動音、少しの静寂、弾けるイントロ。

ニュートラルの新譜はそういう風に聴いてきた。

「Take the high road」もそういう風に聴こうと発売を心待ちにしていたのだ。

結局僕がこの話を引き受けたのは、躊躇したのと同じ理由で、ニュートラルのファンだからだ。


シゲル君の歌詞は深い。

あまりに深く、時に意図したように伝わらないこともあるらしい。

僕は、(書くのがおこがましいけれど)以前音楽の作り手の、ほんの端っこに名を連ねていた。

だから、作り手としての僕がこのライナーノーツを書くことで、シゲル君の真意の何十分の一でもみなさんに届けられたらと思ったのだ。


…なんて言いながら、実は誰よりも早く新曲を聴きたかったことも事実なんだけど。


さて、「Take the high road」。

意味は「正々堂々と行け」。

アルバムジャケットからはライブの疾走感と熱気が伝ってくる。

写真家の方から、「ただただ音がカッコ良いので、もうバンドの結束を表現する必要もないよね」と言われ、このジャケット写真になったそうだ。

真っ直ぐに小細工なしに正々堂々とロックが鳴っている。

音を聴けばもはやニュートラルが「新生」なんて段階を超えたことが分かる。

そんなアルバムだ。


僕はいつもニュートラルのニューアルバムを聴いて思う。

「おいおい、シゲル君、大丈夫か!?こんなすごい曲たちを作って、出し尽くしてしまったんじゃないのか!?次回作は大丈夫かい!?」

『素晴らしき世界の鐘の音を鳴らせ』を聴いたときも、『バンドガール』も、前作『7170』を聴いたときもシゲル君を案じた。

完全に余計なお節介である。

新作「Take the high road」を一聴し声をあげそうになった。

「おぉい、おいおいおいおいおいおい!!!!しっげるっくぅぅぅん!!?」

心配だ、次回作が心配だ。

どの曲も素晴らしく、一番を選ぶのは難しい。

これを書いている今は、「平凡な日々、完璧な今日」に涙腺を緩まされている。

昨日は「つまらない話」が琴線に触れた。

職場に行きたくない朝には「リリー」に背中を押してもらっている。

「Take the high road」はニュートラルの新たなランドマークになる作品だ。


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『リリー』

僕らの世代のロックンローラーは皆、ドブネズミの美しさを讃える歌に憧れた。

冒頭の歌詞には記念碑としてのロックへの敬意とともに、過去への決別が込められているのではないだろうか。

タイトルにもなっている「リリー」は、過去を擬人化したもののようにも思えるし、音楽そのものともとれる。

「ドアを開けて」音楽の世界に飛び込んだバンドは、直に彼ら自身の音を奏でるようになった。

今そのドアの鍵は壊れている。

壊れたドアの向こうで鳴っているのは、彼らが憧れた音楽か、新しい始まりを告げる音か。

そのドアが開く時、いったい何が見えるのか。

アルバムの冒頭を飾るに相応しいアップチューンだ。



『Steady as she goes』

タイトルの意味は「ヨーソロー」「そのまままっすぐ(進路維持)」という意味だそうだ。

アルバムからのシングルカット第1弾は間違いなくこの曲だ。個人的にはですけど。

タイトルそのまま、明日からの一歩を踏み出させてくれる。

同時に、”真っ直ぐ”だけで終わらない、散りばめられたシニカルな言葉たちに、作り手の非凡さが垣間見える。


海の向こうの音楽が聴こえてくるようだ。

アメリカではなくイギリスのそれだ。

サビ終わりのスキャットを聴くと、ローリングストーンズを、オアシスを、ストーンローゼズを思い起こして頬が緩んでしまう。洋楽ファン垂涎の曲じゃなかろうか。



『おじさん』

人は音楽でもファッションでも髪型でも、自分が一番輝いていた時代のものにしがみつく傾向にあるらしい。

何歳になっても若くありたい気持ちには逆らえないのかもしれない。

歳を重ねることでしかわからないことがある。

この曲はカッコよく歳をとるのではなくて、ありのままに受け入れていいということを教えてくれる。


同時に、歳をとることで失うことも確かにある。

単なる老いへの賛美歌になっていない。

この曲はそこがいいのだ。

”窮屈な明日を待っている”

歳をとるとしがらみで身動きがとれなくなることも多い。

でも窮屈な毎日の中にも確かに喜びが在り、若い頃とは違った希望を明日に持つことができる。

歳をとることのネガティブさとポジティブさの両面が描かれている、素晴らしい曲だ。



『Good Evening』

最新二作のアルバム、特に今作でシゲル君の歌詞に、はっきり変わったところがある。

描ききらない詩が増えたことだ。

”戦うか、それとも投げ出すか”

「戦え」とは言わない。

でも、”もう43歳の僕に”やるべきことを気づかせようとする。

”戦って、たとえ負けたって”

「負けたっていい」とは慰めない。

「また立ち上がればいい」とは歌わない。

でも囁いてくれる。

”まだ43歳の僕”が進むべき方向を。


”フレー!フレー!フレー! 頑張りきれない 君にエールを”

「Good Evening」で伝えようとしているのは、過去僕たちの背中を押してくれた曲たちと同じだ。

余白を与え聴き手に答えを委ねる。

それは作り手としては怖いことだ。

だけどこの曲は描ききらないからこそ胸を打つのだ。


追記:

”ミック・ジャガーもポール、ディランも”

ボブ・ディランも・・・と歌わないところがすごいなぁ、悔しいなぁ。

作り手として。



『つまらない話』

とても嫌なことがあった。

台所に立つ妻に話そうとする。

喉元まで出かかって飲み込む。

大人になることは耐えることだと誰かが言ってたような気がする。


”本当は いや、いいんだけどさ”

そうなんだよね。

親にも言えない苦しみ。

友達にも見せられない肩の重荷。

そういうものを僕たちは抱えながら生きているんだよね。


”いや、いいんだけどさ”

置いてくるようにそっとシゲル君が歌うのを聴いていると、誰もが同じなんだ、と同志が出来たようで少し心が軽くなる。

無言の優しさがある曲。

僕にとって、とても大切な曲になった。

あなたはどうだろうか。



『シュークリーム』

恋と夢の歌を歌っていた青年は、いつしか高く遠く創作の高みに登り詰めていた。

三木茂というアーティストの凄みを思い知らされる曲だ。

可愛らしいタイトル、それと裏腹にマシンガンやナイフのような鋭さで疾走するロック。

そこにはメッセージは希薄で、言葉の羅列はもはや音のためにのみ存在している。

かっこいい。

ただかっこいい。

月並みな言葉しか出てこない。

前作収録の「スーパーボール」の系譜ととらえると、「最終兵器は夜に 二回跳ねる」という歌詞にニンマリしてしまうのは、考えすぎなのかしら。



『平成が終わる』

バンド結成1年でライブハウスを満員にし、その後上京、プロデビュー。

事務所移籍。

メンバーの脱退。

新メンバー加入。

父親の死。

この曲にはやるせなさと優しさが同居している。

平成で起こった全ての出来事、悔しさも悲しさも喜びも全てありのままに受け止めようとしている曲だ。

”信号青にゆっくり変わる 急き立てられどっと人が流れていく”

この一行で緩から急へと変化する時間の流れが描かれている。

みなさんはここに込められた表現の特殊性に気がついただろうか。

普通はこうだ。


”信号は慌てるように切り替わり、人々はゆっくりと横断歩道を渡る”。


この曲では緩急が逆になっている。

時代は緩やかに移ろうものだ。

僕たちはそんな中を、急かされるように毎日を過ごしている。

だから信号は青へ”ゆっくりと”変わり、人々は流れに身をまかせ”急いで”歩を進めるのだ。

抗うことのできない日常を生きる僕たちを表現する、とても高度なテクニックだ。


(そして実を言うと、このような創作上の高度な技術がこのアルバムの随所に散りばめられている。自由な解釈の幅を狭めたくないので一つ一つそれらを拾いあげないでおくが、歌詞を隅々まで読んで、それらを探してみて欲しい。)


それにしてもなんて美しいメロディーなんだろう。

アルバムの中でもっとも美しい曲…だと思う。

昭和に生きた人たちは過去を懐かしんで昭和は良い時代だったという。

平成が終わった。

いつか平成も良い時代だったと言われる日がくるのだろうか。



『HANASACRASH』

ニュートラルには珍しいタイプの曲だ。

まずリズムが2ビートというところ。

ドッドッ・タン ドッドッ・タンというのがロックによくある4ビートなんだけど、ドッタドッタドッタというこの曲のようなリズムを2ビートと呼びます。

うーん、言葉で表現するのは難しいけど、お分かりいただけたかしら。

ちょっと思い返しても、ニュートラルで2ビートの曲ってないんじゃないかな。

それから歌詞の内容。

少し説明が必要なんではないかと思う(熱心なファンの方はとっくにご存知だと思うけれど)。


ニュートラルにはデビュー前からの機材車があった。

トヨタ ハイエース、ナンバープレートは「8739」。

そう、「花咲く号」だ。

あるライブの帰路、「花咲く号」は高速道路を軽快に走っていた。

隣の車線を走行するトラックが「花咲く号」側に揺れた。

「花咲く号」は衝突を避けようとハンドルを切った。

路面はウェット。

スリップ。

そこからの記憶はないらしい。

後から聴いたところでは、「花咲く号」は4回ガードレールにぶつかったそうだ。

全損だった。

メンバー・スタッフとも怪我がなかったことだけが幸いだった。


「花咲く号」のクラッシュ。

「HANASACRASH」

こんな出来事を歌にできることに僕は感服する。

人生が音楽とともにあることの強さなんだろうか。

いやいや、シゲル君は事故の後しばらく映画のように真夜中に叫んで起きるということが続いたそうだ。

歌詞にして吐き出すことでリセットしようとしたのかもしれない。

一種のデトックスか。

軽快なビートと衝撃的な歌詞の内容に印象が強く残る曲だ。

不謹慎だけど楽しくすらある。



『君の街に僕は行く』

前向きな意味で実にニュートラルらしい曲だ。

ラテンのノリにも通じる踊るようなギターのリフ、メジャーコードで構成された軽快さ、キラキラ輝く印象を残す歌詞。

以前からのファンがイメージするニュートラルにもっとも近い曲かもしれない。

そう思いません?


ファンにとっては自分の街のことが歌われるのはとても嬉しいですよね。

「HANASACRASH」の後だから、よけい歌詞に意味を持たせようとしてしまう。

考え過ぎかもしれないけど。

ボブ・ディランはかつて、”曲を聴いてくれるひとが一人でもいる限り、ギターを持って歌いにいく”と言った。

バンドは今日も演奏の旅を続ける。

次に僕の街に来てくれるのは半年後か。

長くてあっという間なんだろうな。



『僕らのMUSIC』

ニュートラルの曲にはよく「音楽」が登場する。

それはロックであったり、ロックンロールであったり、ブルースであったり、シゲル君の愛する音楽たちだ。

ところで、前作に収録された曲の中に「ミュージック」というタイトルの曲がある。

シゲル君のお父さんの死をきっかけに改めて音楽に向き合う決意をした曲だ。

もはやジャンルを超え、「音楽」そのものと寄り添って生きていく、そんな覚悟からの「ミュージック」というタイトルだったのではないのだろうか。

これ以来、何回かミュージックという言葉がシゲル君の歌には登場している。

そのうちの1曲が、この「僕らのMUSIC」だ。

「ミュージック」でジャンルを飛び越え音楽そのものへの覚悟を固めたバンドが、音楽そのものを楽しんでいるこの曲の肩の力の抜け加減が楽しい。



『ひだまりの時』

若者は時間を持て余す。

それが若者の特権だ。

ギターの代わりにパチンコ台のレバーを握り、根拠もないのに”足りないものもいつか埋まる”と明日を待つ。

隙間を埋めるように何かに没頭する。

今この曲を聴きながらそんな日々のことを懐かしんでいる。

この曲は若者の歌ではない。

この曲は愚かで愛すべきかつて若者だった者たちの歌だ。

もう二度とこんな日々は来ない。



『ハイエース』

バンドでしか奏でられない音がある。

せーのと掛け声をかけて機材を下ろすことができるのもバンドだからこそだ。

ニュートラルが今日もニュートラルでいることに感謝。

ところで、友部正人さんと谷川俊太郎さんの対談(だっと思う)で、お互いのどの作品が好きかを聞かれた友部正人さんが「僕はいつも谷川さんの一番新しい作品が一番好きなんです」と答えていた(逆だったかもしれない。うろ覚えですみません。)

「ハイエース」に「昔の曲ばかりを褒めるやつら」という一節がある。

すでに書いたように、僕はいつだってニュートラルの最新作に驚かされているんだ。



『頑張れオレ』

”リリー”で描かれた「あの日から閉じたままのドア」は、アルバム終盤のこの曲でも未だ閉じたままだ。

そのドアの向こうにあるものはいったいなんなのだろう。

頑張り続けることでいつかドアが開く日が来るのだろうか。

描ききらない歌詞の曲が増えた中、強いメッセージを持ったこの曲がすっと心に降りてくる。

余白の美しさと、まっすぐな力強さがアルバムの中で互いに引き立て合っている。



『平凡な日々、完璧な今日』

僕たちは僕たちのために生きている。

同時に僕たちは誰かのために生きている。

自分のためだけに日々を生きていたなら、悲しみの深さや後悔の重みには耐えられないかもしれない。

”だからどうかオレのためでいい 少しでも長く生きろ”

かつてシゲル君は声を枯らしてこう歌った。

誰かのために生きる人生があっても良い。

愛する人のために生きるということは、平凡で完璧な日常を生きるということだ。

アルバムの最後を締めるに相応しい壮大な曲。

次の休みは久しぶりに子供と公園に行こう。

今度、実家の両親の顔を見に行こう。


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ここに書いた14個の解釈は僕の私見にすぎない。

100人いたら100とおりの解釈があっても良いし、どんな解釈をしてもニュートラルの曲の魅力が損なわれることはないのだ。

どうぞ皆さんもそれぞれの受け取り方でこの大作を堪能してください。


筆者紹介;吉村淳二(JOHNNY)

バンドBLUES DOGのギター・ボーカル。

兵庫県姫路市を中心に2011年までバンドで活動し、現在は細々とソロライブをしている。

THE NEUTRALの初ライブで対バンになったことが縁で知り合う。

アルバム「7170」で曲を共作し、名前がジャケットに掲載されたことは孫の代までの誉れと思っている。

THE NEUTRALメモリアルイヤーのライブで手紙を朗読し感極まって泣き、メガネのレンズの上から涙を拭おうとして視界がクリアにならないことに焦る。




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