LINER NOTES 2 COWBOY 弟
「ライブハウスに出てみたいなら、ニュートラルのライブを一度見てみるといい」
そう言われてから早いもので20年の月日が流れた。
当時21歳の僕は「しゃーない見といてやるか」そんな軽いノリでニュートラルのワンマンライブを見に行った。
会場に着くなり異変に気付く。
このライブハウスのキャパにこの人数は明らかにおかしい。
ぎゅうぎゅう詰めに押し込まれたお客さん。
だけどそこに集まっている一人一人の目が期待と興奮でキラキラしているのである。
当時の僕にでも「ここには本当のファンが集まっているのだ」と十分にわかった。
酸欠になりながら初めてニュートラルのライブを見た。
カッコよかった。
人生で初めて清々しい敗北感があることを知った。
この日のライブから今日まで約20年、僕はTHE NEUTRALの音楽を近くで見て、聴いてきた。
そして今回新しいアルバム「Take the high road」がリリースされるにあたりライナーノーツを書くことになった。
誠に光栄な話だが、本当に迷惑な話だ。
毎日時間があればニュートラルの曲を聴いている。
忘れていた音楽への熱量が上がってくるのである。
そしてこの熱が簡単には冷めないのである。
1. リリー
アルバムの一曲目というものは、そのアルバムの方向性を示す指針となるべき曲だと僕は思っている。
「リリー(リリィ)」とは、混じり気のない(純潔な人、純白なもの)を指す言葉だ。
まさにこのアルバムが混じり気のないものであることを分からせてくれる、一曲目にはピッタリのロック曲である。
サビの部分で、「くそったれの世界にドロップキック」ではなく「くそったれの世界を愛している」と綴るところにしげるさんらしさ、ロック感が出ている。
また、「壊れたドアノブを回し続けている」というフレーズを聴く度、結成初期の代表曲「ドアを開けよう!」を思い出し、大人になったしげるさんからの20年越しのアンサーソングのように聴こえてきて胸が熱くなる。
ドアの向こうにあの日の景色、見たことのない新しい世界が待っているはず。
それなのに空回りするドアノブ。
もう開かない。ドアの向こうには行けないかもしれない。そもそもドアノブが壊れているのだから。それでも回し続ける。
希望に満ちた「ドアを開けよう!」も胸が熱くなる。
だが、「壊れたドアノブを回し続けている」は心が熱くなるのだ。
2. steady as she goes
この曲はアコースティックバージョンで聴いたのが最初で、一目惚れならぬ一聴惚れした曲である。
行進曲を聴いているような感覚になれるのは、しげるさんが自分の人生を航海に見立て、そして力強く「羅針盤はお前の情熱だ 二度と疑うな」と歌うからである。
3.おじさん
タイトルだけみるとポップな印象を受ける。聴いてみると深い曲。
人間誰しも歳をとる。
30代までは感じなかった老いというものを、40代になると少しばかり感じ始め、さらにはその先に「死」という終わりまで意識してしまう。
40代を迎えたしげるさんが描く大人像(おじさん、おばさん像)。
「憧れていたあの子も今じゃ おばさん」このフレーズは一見、輝きを失った女性の老いへマイナスイメージに聞こえてくるが、最後は「家族に愛を注ぐ」で締められている。
若さという輝きは失えど、それ以上の家族への愛情という美しくも眩しい女性を描いている事に気付かされる。
輝きは、眩しさから美しさ優しさへと変わって行くことを教えてくれる。
4. Good evening
「才能が枯れるのが怖い」しげるさんの口から聞いた言葉で一番ドキッとした言葉がこれだ。
30代までは「才能が溢れ過ぎて怖い」と言っていたのに。
そんな彼が「枯れるのが怖い」と言ったのである。
その瞬間、しげるさんも歳を取ったのかと心配した。
しかしこの曲を聴くと考えが変わった。43歳の彼は「まだ43歳」なのだから。
「まだ」という言葉は負の印象が強い気がする。
足りていない、達していないといった意味で使われるためだが、その負のワードを「まだ43歳」という形でこの曲の最後の最後に使い締めくくっている。
「まだ」という言葉が使い方によっては、こんなにも希望に満ちた言葉になることに気付かされたことに驚きである。
5. つまらない話
この曲はしげるさんにしては珍しく答えを出さない歌だ。
しげるさんの書く曲は、聴いている人に何らかしらの答え(道しるべ)をくれると思っている。
だがこの曲は最後まで答えをくれない。聴いた人各自それぞれで答えを探すしかない。
そんな中でも「いや、いいんだけどさ」この言葉がこの歌の答えのような気が僕はしている。
自分の中にある思い・信念・答えを信じて戦えることが若さなら、それらを飲み込み受け入れることも戦い方のひとつだと知るのが大人だ。
日々感じる嬉しさより圧倒的に多い積み重なる悔しさを誰だって大切な人にぶつけたくなる時がある。
だけど最後の最後で飲み込んだ「いや、いいんだけどさ」が、この歌の答えのような気が僕はしている。
6. シュークリーム
タイトルだけを見て、甘酸っぱい恋の歌なんだろうと想像して聴いてどえらい目にあった。
「シュークリーム」の音の響き、感触、やわらかくて甘いイメージそれら全ての正反対にあるような歌詞とメロディーに撃ち抜かれてしまった。
「シュークリームみたいな 愛が欲しかった」
誰もが柔らかくて甘いシュークリームのような恋がしたいと願う。
現実のシュークリームは、噛めば中からクリームが溢れ出し、一瞬で丸い形は崩れ歪なものとなってしまう。
この曲を聴くと恋とは複雑なものであったことを思い出してしまう。
7. 平成が終わる
ニュートラルのメンバー全員が昭和生まれ平成育ちである。
青春時代をまさに平成と共に駆け抜けた。
平成の30年間で何を手にし、何を手放したのか。
しげるさんの歌詞の一つのテーマのような気がする
。夢、恋、仕事、家族の中で何かを手にし、何かを手放しながら日々を重ねる。
それは少なからず僕たちも同じなのだが、それをしげるさんは歌として形として残し続けている。
「全力で手を伸ばす 届いたか いやまだまだか」そして「明日もまた日が昇る」
彼の中での永遠のテーマでありその答えを求める旅は令和へと続く。
僕たちはその答えを歌で待つ。
8. HANASACLASH - E4東北道 -
高速道で車が大破する程の事故をニュートラルが起こしたと知った時、心配と共に「こんな終わり方するバンドじゃないやろ!」と本気で思った。
体は無事か?活動はどうする?
状況、状態を聞くのをためらっていた時にしげるさんから着信があった。「奇跡的に全員生きている。死んでいてもおかしくなかった」とリアルに事故の状況などを教えてくれた。話が暗くなりかけると「事故が起きている間も助手席で代谷は熟睡していた」と和ませようとする。こちらは笑えない。全員が無事だったことは嬉しいし安心した。
だけどもう一つの答えが早く欲しい。
それを察したのかしげるさんが「新しい移動車に搭載するカーナビを買ってくれ」と笑いながら言ってきた。しかも「最新のいっちゃん高いのんな」と。
一番高いではなく、いっちゃん高いで言ってくるほど先の活動に意欲が満ちていたことに驚きと感動を覚えた。
そして事故の後にできたこの曲。
「二度目の人生もまたMusicの中」
心配するすべての人に、しげるさんがくれた最高の答え。
9. 君の街に僕は行く
ニュートラルはファンを大事にしているバンドだと思う。
ライブハウスで共にした時間の中で感じたことが、ライブ内容に妥協がないこと。そしてもう一点がファンを第一に考えているところ。
ワンマンライブのリハーサルは本当にピリピリムードで少し怖い。
特にしげるさんが怖い。細かな所でも気になれば何度も繰り返しやり直す。
開演ギリギリまでやることもある。それもこれも来てくれるファンのため。
この曲はファンのために作った。しげるさんがはっきりとそう言っていた。
だから「何年かかってでも 何度でも会いに行く」と歌っている。
10. 僕らのmusic
僕の記憶が正しければ、しげるさんが「music」という言葉を曲のタイトルに使ったのは40代を迎えてからだ。20年も活動していて何故40代になって使い始めたのか。
しげるさん本人に聞いてみた。答えは意外なものだった。
「音楽を本気で辞めようと思ったから」
僕はその先を聞くのを止めた。苦しくなったから止めた。
しかしこの曲を聴いてその苦しさから解放された。
音楽(music)とは気付かない日常の中にある何気ないこと
「クラクションでもいい、くしゃみでもいい、名前でもいい、「ふざけんな!」でもいい」
これほど身近にあるものが音楽なら自分の身から切り離せない。
辞めるとか辞めないとかではない。
「思いっきり好きになりそう」とは、彼女のことを指すのか、それとも音楽を指すのか。
そもそも彼女とは音楽を指すのか。
11. ひだまりの時
初めて聴いたとき、僕のことを歌っているのだと思った。(笑)
何故なら登場人物がクズだからだ。
若かりし頃は、日々時間を浪費し、大切なことを先送りにし、パチンコで現実逃避する。
自分もそうであったようにその頃の男性とは時間も可能性も無限大だと勘違いしている。
男というのは自惚れやすく、自分に甘く、そして何よりいつまで経っても子供だ。
「あの子にも夢があったとは知りもせずに」
全てが自惚れからくる自分目線だった日々への後悔。
愚かでワガママな日々を包み込むように受け入れてくれていた相手の愛情の深さに気付く。
「あの子にも夢があったとは知りもせずに」この言葉に強く胸を打たれる。
12. ハイエース
30代を迎えるころに僕は音楽から離れた。
それと同時にニュートラルとも距離を置いた。
活動しない僕が、最前線で戦い続けている人に会わす顔がないし、迷惑になると考えていたからだ。それでもそんな僕に人づてで僕にしげるさんはメッセージを送り続けてくれていた。
「音楽に関係なく俺は友達と思っているから」と。それでも僕は距離を置いた。
そんな期間が10年近く続いた。
そして衝撃的な情報が立て続けに僕の元に届いた。
「しげるさんの親父さんが亡くなった」「ドラムが脱退した」距離を置いていた僕でも胸が張り裂けそうになる思いになった。
何年振りかにニュートラルのホームページを恐る恐る開いた。
「今後の活動は未定」僕は無責任にも解散するかもしれないと本気で思った。
それから数か月後、何年ぶりだろうかしげるさんからメールが届いた。「姫路でライブあるから見に来てくれないか」
僕は何年と距離を置いていたことも忘れ「もちろん行きます」と応えていた。僕自身何かを確かめたかったのか何年と距離を置いていたのにも関わらず即答で行くと答えていた。
ライブまでの期間、僕は期待より不安の方が大きくなっていた。痛々しいライブは見たくないと思ったからだ。
そしてライブは始まった。新しいドラムが叩く、新しいニュートラル。やはり違和感はある。しかしそれもこれも「ハイエース」を聞くまでの感想だ。ハイエースの演奏が始まる。泣く歌では無いのかもしれないが僕は泣いてしまった。
「アンプにスイッチを入れて せーので機材下ろし」今ではこの歌詞が全曲の中でも一番好きな歌詞だ。いや、素敵な歌詞だ。
「せーの」という言葉は、一人で何かをやるときには使わない。みんなで何かを一斉にやるときの掛け声だ。
新しくドラムが加わり、もう一度足並を揃へ歩き始める決意、覚悟の言葉に聞こえる。
しげるさんが僕を10年ぶりにライブに誘った意味がこの曲で分かった。
13. 頑張れオレ
美しいピアノと共に歌われるこの曲。
「頑張れ」この言葉はしげるさんが歌い続けている重要なワードの一つだ。だがしかしこの曲での「頑張れ」はいままでの頑張れのそれとは少し違う気がする。
マラソンランナーに向けて沿道から「頑張れ」と声援を送る。これが一般的な頑張れのイメージだ。だが、この曲の頑張れは、すでにトップの選手はゴールしている。それでも走っているランナー自身が自分に向けて「頑張れ」と言っているような感覚だ。
最大の目的(優勝)は達成できない。でも走らなければいけない。走り続けることの大切さ、ゴールすることの大切さ。
結果(順位)よりも大事なことは、今走り続けること。
「頑張れ今」とあるように。
14.平凡な日々、完璧な今日
僕は、しげるさんが40代になってから書いた曲たちが特に好きだ。理由はハッキリとしている。しげるさんの書く曲が「熱い」ものから「温かい」ものに変わったからだ。
20代30代としげるさんは生き急いでいるように側から見ていて感じていた。
30代の終わりに父親の死、仲間の離脱を経験した。当時を振り返り「正直その時期は立っていられなかった」としげるさんが言っていた。それらを乗り越えるというよりは、それらを飲み込み消化することで前を向けたのではないかと最近の曲たちを聴いて思う。
この曲は特に温もりを感じる。肌から伝わる体温のような優しい温もりを。
「かけがえのない日々を気づかずに繰り返す」
自分に起こる出来事が良いことにせよ、悪いことにせよ必要だったと分かるのは振り返った時であり、今起きているすべてのことがかけがえのないことであることには気づかない。
だからこそ泣きながら笑うような日々を送りたい。
「Take the high road」正々堂々という意味を持つこの言葉をアルバムのタイトルにしたことの意味。
答えは「聴けば分かる」なのだが、アルバムを聴いてくれている人たちが知ることの出来ない裏側のことを、各曲好きな歌詞と共に僕なり書かせて頂いた。
ナンバープレート8739のハイエース。メンバーは「ハナサク」と語呂で覚えていた。
アルバム制作が始まったとき僕は、このアルバムのタイトルは間違いなく「ハイエース」となると確信していた。その数日後、そのタイトルとなると思っていたハイエースは事故で大破し存在しなくなった。しげるさんに何気なく「アルバムタイトルは絶対ハイエースだと思っていた」と伝えると、少し嬉しそうに笑いながら「ハイエースが霞んでしまう曲が書けたから」と答えた。聴けば納得である。
僕はニュートラルの未来を信じている。大切な人、仲間との別れ。そしてハイエースとも別れた。
それでも歌い続けるニュートラルの未来を信じている。大事故でも死ななかったニュートラルの未来を信じている。花咲く未来を信じている。
この文章を最後まで読んでくれた方へ感謝と共にこの言葉で締めくくらせて頂きます。
このCDを聴いて何処に行くのか?バカヤロウそんなのライブハウスに決まってら。
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