LINER NOTES 4 えみっく
先日、私自身の「note」にTHE NEUTRALの記事をアップした。
だがそれは『Take the high road』のことはさておき、とにかくライブを観て欲しいバンドであるということをしたためた。私の言いたいことはそれしかない、と。
そう、それしかないと書いた。にもかかわらず後日、noteを読んでくれたホームラン先輩から「アルバムののライナーを書いて欲しい」とメッセージが届いた。
・・・なんでやねん。嬉しいけど。
20年前に様々な思いを抱えてバンド活動を展開していた人たちの多くが、様々な思いを抱えてその活動をやめていった。バンド活動をやめることが音楽自体をやめることになってしまった人も少なくない。
そんな中で、私はロックでなくても、バンド単位でなくても音楽を続けられるよう、ジャンルのフィールドを大きく転換したことで今もベースを弾き続けている。
結果、かつてのロック大好き女子は、ほとんどロックを演奏しないカリブ海の音楽が好きなおばさんになった。30代で様々なジャンルの音楽に触れたおばさんは、そうこうしているうちに40代となった。
そして改めて思う。
人の心に届く音楽にはジャンルも上手い下手も大して関係ない。と。
第一線で活躍するジャズミュージシャンのライブで何度も心を揺さぶられる経験をしているが、そこにはえも言われぬ気迫が漂っている。裏を返せば、どれほど素晴らしいテクニックを持っていてもその気迫が感じられないライブに心は動かない。
私はこれを勝手に「魂がそこにあるかないか」という言い方をしている。
どれだけの思いをそこに込めているか、それが聴き手に伝わるか。全くの個人的見解だが、私にとっての好きな音楽の基準はそこにある。ジャンルなんかなんだっていい。だから私は今でもTHE NEUTRALの音楽を聴こうと思えるのだろう。ほんのちょっぴりエコひいきを伴いつつ。
このライナーを書くにあたり、久しぶりに2000年発表の『チリリンGO!』を聴いて気付いたことがある。
三木 茂(当時は、しげるとクレジットされている)による歌詞の大きな変化である。
「俺と君」が中心だった世界が『Take the high road』では大きく外界に広がりを見せている。さらには「俺」ともより深く向き合っているように思えてならない。この歌詞の変化は、同世代として40代を迎えた私に、時間が流れて歳を重ねたという現実を客観的に痛々しいほど突きつけてくる。実に生々しい。そう。私たちは紛れもなく「おじさん」「おばさん」になったのだ。そしてこれからの人生の行き先にワクワクもする。
見たくもないものを見て、聞きたくもないことを聞いて、触れたくもないものに触れて歳を重ねた。同時に若い頃には知りもしなかった甘美なものや優しいものにも触れた。外の世界は汚くて美しい。生きて歳を重ねることは辛くて面白い。
三木 茂の世界観は超内面的な自己へのメッセージであると同時に、同じ世界で生きるすべての人に向けた賛歌ともとれる。今10代、20代を生きる人には40代に向かう道標になるかもしれないし、60代、70代には頑張ってきた時間を振り返り慈しむ材料になるかもしれない。そして昔から変わらない、まるでサラリと書いたかのような平易で飾らない言葉で綴られるスタイルの歌詞は、曲ごとに、ときには日記、ときには絵本、ときには小説、ときには短編映画のように豊かな情景を見せてくれる。
例えば5曲目に収録された『つまらない話』の最後の一節。
「そう言えば 君は僕を好きだった 僕も君が好きだった つまらない話だけど」
聴き手に人物を想起させる流れからのこの最後の一節に私は完全にしてやられた。「僕」にとってつまらない話なわけがないことは容易に想像がつく。そして叶わなかった恋のあまりの切なさも、だ。
さらに、叶わなかった辛い恋の経験者は、否応なくそこに自分を重ねてしまうだろう。平易にして巧妙かつ緻密、そんな三木 茂の歌詞を是非じっくりと堪能してもらいたい。
ところで「女には苦労した事ないぜ」はフィクション、それともノンフィクション?
そんな三木 茂の作詞・作曲を最終形へと導くメンバーたちがもちろんいるわけだが、今までにメンバーチェンジがドラマー1人の1回だけというのは特筆すべきだろう。
今だから言うが、THE NEUTRALが上京して後にスマッシュヒットが出た頃、私はバンドは解散してしげるがソロ活動を展開するのではないかと案じていた。仮にバンドとして残ってもホームラン代谷はチェンジされるかもしれないと本気で案じていた。なんせ就職が理由であっさりバンドを離れたにもかかわらず、就職以前に卒業に失敗し(留年の理由が余りに衝撃で、今も忘れられない)、その後運良くバンドに戻れたという経緯がある、そもそもプロ志向だったかどうかもよくわからない人である。
だが嬉しいことに心配事は何もかも杞憂に終わった。
バンドは解散せず、なんとホームラン代谷も変わらず在籍している。
20年も、だ。
THE NEUTRALの編成は典型的なロックバンドのそれであり、ボーカル、ギター、ベース、ドラム、それぞれの明確な立ち位置がある。
まずベースとドラムがリズムの土台を作る。音楽が好きな人ならそんなことは重々承知だろうが、ベーシストとドラマーがここにどれだけの心血を注いでいるかまで理解できている人は案外少ない。土台を作るということは、上に乗るものが安心して思い切り飛んだり跳ねたりできる環境を作るということなのだ。どれだけ他のパートが羽目をはずして飛んで行ってしまっても「ここにいるよ」と導ける力が求められる、いわば親に近い存在。
ベーシストのホームラン代谷も、ドラマーの鎌田竜生も非常にオーソドックスなプレイスタイルで自らの立ち位置を逸脱することなくしっかりとバンドのグルーブとサウンドの土台を作っている。
そして清正の正統派ロックギターは、そのソロワークで、バッキングでと土台のグルーブを増強し、サウンドに華を添えて曲に広がりを持たせていく。『Take the high road』では往年のロックスターへのオマージュともとれるフレーズも見え隠れし、そのプレイは彼の音楽的バックグラウンドを彷彿とさせる。
こうして形作られた安全な土台の上で、フロントマンにしてバンドの愛すべき子供、ヴォーカリストにしてソングライターのしげるが自由に高く高く跳躍する。その歌声はどこまでも伸びやかで力強い。
結局のところTHE NEUTRALの今のサウンドは、音の繋がりではなく人の繋がりだと、私は感じている。
「信頼」
この一言がTHE NEUTRALの原動力なのではないかと。
ライブでも制作でも、少々演奏が不器用であったとしても、お互いを汲み取ってそれに反応できる関係ほど心強いものはない。そしてたまにある、汲み取り損ねたときにも許しあえる関係もまた然り。それはすべて「信頼」の一言に尽きる。そんなメンバーには簡単に出会えるものではない。20年かけて築かれた信頼なのか20年前から変わらずにある信頼なのかは知る由も無いが、一度このことはメンバーに直接聞いてみたい。彼らは何と言うだろうか。
「惰性やで」
そんな天邪鬼な答えを、ニヤニヤしながら返してくれるような気がする。
(文中敬称略)
筆者:河西恵美
通称えみっく。姫路市近辺で活動するベーシスト。兵庫県認定音楽療法士。近年はキューバ音楽を中心にラテン音楽に傾倒、ラテンパーカション愛好家でもある。ホームラン代谷は大学の軽音楽部の先輩。
生涯を共にするであろう1本のベースとの出会いは、しげる兄さんと清正兄さん無くしては語れず、ホームラン代谷に足を向けて寝ることはできても、お二方には足を向けて寝られないと今でも思っている。
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